自己紹介 濱口貴洋

カイロプラクターの濱口です。

今回は私がカイロプラクティックを始めたきっかけと遍歴をお話ししたいと思います。

カイロプラクティックが何かも知らなかった

この仕事をしていると、なぜカイロプラクターになろうと思ったのですがと聞かれることが多々あります。そこで、私がカイロプラクティックを受けて劇的によくなったとかそういうような話があればいいのですが、全くないのです。

高校卒業後、愛知県の自動車部品会社に就職したのですが、やっぱりいつかは高知に帰りたいという気持ちになり脱サラすることを決めましたが、そのまま帰るよりも手に職をつけて帰ろうと思い専門学校情報誌を読み漁っていました。そこで目についたのがカイロプラクティックだったのです。

今から15年ほど前になります。2年制のカイロプラクティックの専門学校に入学しカイロプラクティックの世界に入りましたが、この世界に入るまでカイロプラクティックを受けてこともありませんでしたし、そのころは今ほどインターネットも普及しておらず情報もアメリカ発祥の整体みたいなものというような知識しかありませんでした。もちろん、WHOの基準というものも知りませんでした。

転機

2年間勉強し、卒業後カイロプラクターとして働いていました。

その働いている時に、アメリカのカイロプラクティック大学に解剖研修に行ける機会に恵まれました。そのアメリカで経験したのはカイロプラクティック大学に通う学生とのレベルの差でした。

そして私は同じカイロプラクターとして恥ずかしくて名乗れないと思ったのです。

帰国してから、カイロプラクティックについて調べ直したところ、WHOによる基準があるということを知ったのです。

カイロプラクターとして働いていた私が知らなかったのですから、一般の方が知るよしもありません。

その頃には施術をすることの楽しさや奥深さを知り始めていましたので、一生を通して行う仕事だと思っていました。そのためには中途半端に行うよりも自分が納得できるまで徹底的にやった方がいいだろうということで一念発起して、WHO基準の教育を学び直すために31歳をすぎてから入学しました。

カイロプラクターとしての責任

4年間勉強をして気づいたことは、半分以上は基礎医学でありそれらは人を治すためのものではなく危険を排除し安全に施術するために必要なものでした。

身体に施術をするためにはそれなりの知識と技術が必要です。いくらいい道具であっても使う人によっては薬にも毒にもなるのです。

日本においても「医業類似行為において人体に危害を及ぼす恐れがない場合は禁止処罰の対象とはならない」となっていますが、逆に言えば人体に危害を及ぼすと判断されたら処罰されるということです。

私自身WHO基準ではないカイロプラクターとして働いていましたので、決してそれが劣っているとかいうことではありません。

たくさん勉強されて、素晴らしい先生方もたくさん知っています。

ただ、皆様が安心してカイロプラクティックを受けていただくためには、教育基準は必要だと思っています。

もし事故が起きたさいに、その施術者だけでなくカイロプラクティックが危険だということになってしまいます。

そうすると、カイロプラクティックという職業が日本からなくなってしまう可能性もあるのです。

つまりカイロプラクティックという職業を守るためでもあります。

海外から見たら、日本の現状は関係ないのでWHO基準なのかどうなのかということ関係なくカイロプラクターが事故を起こしたということになります。世界中のカイロプラクターにも影響は及ぶのです。カイロプラクティックの名称を使うということは世界10万人のカイロプラクターの責任を背負っているということです。

私は自分の無知のために遠回りしました。知識や情報を取る力があれば遠回りせずに済んだのかと思います。

このようにならないために皆様には遠回りせず、正しい知識と情報を精査する力をつけていただき自分の健康を守るためにヘルスリテラシーを向上していただきたいと思っておりますのでそのために尽力していきます。